唐変木のためのガイダンス

バツイチ・卵巣がん闘病中・統合失調症・ADHD診断済・交際相手有の50代前半女性の日記。

徳さん宅での3泊4日(前編)

帰宅
 新宿区内にある徳さんのマンションから、15日(月)の午前中に無事所沢市内の自宅に戻った。
 コロナウイルスと私の体調次第で今後どうなるかわからないが、今後定期的に徳さんの家に泊まるということで、徳さんと私の間でも徳さんのご両親と私の両親の間でも話がまとまった。
 徳さんの負担になると怖いのと私の体調の関係と母の代わりに家事をしているのであまり家を空けると両親に申し訳ないので2泊3日以上の宿泊は3ヵ月に1回くらいの割合にしたい私と、1ヵ月に1回は来てほしいという徳さんの考えが食い違っているので話し合いつつ妥協点を見つけていく所存。
 
6月12日(金)宿泊前の出来事
 10時15分に徳さんと精神科クリニック最寄り駅で待ち合わせをして、精神科に同伴受診。
 徳さんが精神科の主治医に私の病状を聴きたいと言っていたことから、クリニックに前もって電話で確認をして第三者同伴の許可をいただいた。
 徳さんは私の疾患の特性と関わり方で気を付ける点を主治医から説明を受けて、安心した様子で大学に出勤。
 私は精神科と同じ沿線にあるかかりつけの内科に定期受診のため移動。
 
 かかりつけの内科はコロナウイルスの影響で中止していた慢性疾患の患者の対面診察を、5月15日から再開。(受診時間指定有。)4ヵ月ぶりに主治医の診察を受けた。診察時間の半分以上がコロナウイルス第二波をどう乗り切るかの説明。調剤薬局を終えて暑かったのでドトールに入ったところ、元義母とバッタリ。
 元義母は昨年9月上旬に公務執行妨害で逮捕。(不起訴)私が離婚を決意して元夫と住んでいた一橋学園駅近くのマンションを飛び出し、両親のもとに戻ったきっかけになった決定的な出来事。元義母は保釈後に、30年以上家政婦として仕えていた弁護士夫妻(以下、夫妻)から今年の3月31日まで出勤停止の処分を受けた。
 しかし、コロナウイルス禍が酷かった3月下旬に都内で行われた姪の結婚式に列席したことに夫妻が激怒し、出勤停止の処分が延びていた。
 元義母を解雇しないことへの近所の人達の批判に耐えきれなくなった夫妻は、とうとう4月30日付で元義母に解雇通告。
 ここまでは元主人の叔母(元義母の妹)からメールで報告を受けた。
 ALSと認知症を発症した元義父の介護でほとんど外出できないと聞いていたのに、どう考えても生活圏内ではない私のかかりつけの内科の近くにいる元義母に恐怖を感じた。(元義母は運転免許を所持していて、車の運転が大好き。)
 いろいろあって弁護士先生の力をお借りして、元義母に接近(接見)禁止命令を出していた。
 義母はそのようなことはお構いなしで、「お父さんに会って。おうちに来て。」の一点張りで私の腕を引っ張ってきた。元義母は地元で「○○(地名)の松居一代。」と言われて遠巻きに見られて孤立している人なので、怖かった。
 私は今までのこともありブチ切れて元義母の手を力いっぱい振りほどいて、「警察を呼びますよ!」と大声でビシッと言った。泣きわめく元義母の前から立ち去り、静かなところで弁護士先生に電話をかけた。元義母が接近した時点で、スマホボイスレコーダーアプリをオンにして元義母と私のやり取りは録音済。
 西武線で帰宅前に母に元義母に腕をつかまれた件をメールで送っていたので、帰宅したら母に心配された。父は激怒。
 両親と昼ご飯を食べてから荷造りをして、父の指示で精神科で処方された薬を飲んで少し寝た。
 
6月12日(金)徳さん宅での1日目
 17時頃に目が覚めた。両親が今日は夕ご飯を作らなくていい。出前を取ると言ってくれた。しかし、申し訳ないので、翌日の夕ご飯だけはチャチャっと用意。
 18時半頃に徳さんから20時過ぎには確実に帰宅するとメールが。
 20時半頃に最寄り駅に着けるようにすると返信。
 元夫と交際していた時よりも両親に快く見送られて、自宅を出発。
 徳さんが住むマンションも私の自宅に負けず劣らず駅から近い。
 3月上旬に泊まった時に合い鍵はもらっていたのだが、黙って入るのは申し訳ないと思って(徳さんの住むマンションはオートロック。)、駅に着いた時点でメール。水臭いと少しお叱りを受けた。
 部屋でお茶を飲んで少し落ち着いてから、徳さん行きつけの近所のお蕎麦屋さんに連れて行ってもらった。
 私は天ざると天巻きと大根おろしを注文。
 徳さんはお蕎麦屋さんとかなり親しいようで大将とおかみさん(60代半ばくらい)にいろいろと聞かれたが、私が困るようなことがあると徳さんが護ってくれた。
 帰り際に大将とおかみさんから、「徳さんのことをよろしくお願いします。」と頭を下げられて恐縮。
 お蕎麦屋さんを出てから、二人でスーパーに行き当面の食材を購入して帰宅。
 帰宅後、お風呂を借りて入浴した後に積もる話をして、3時頃に就寝。
 
6月13日(土)徳さん宅での2日目
 朝10時過ぎに起床。いただきもののブランデーケーキとチーズ、りんご。飲み物は徳さんはコーヒー、コーヒーが飲めない私はアールグレイの紅茶で緩い朝食。
 正午過ぎから夕方からの飲み会のおつまみを作りはじめる。
 13時30分前からマンションの非常ベルが断続的に鳴り続けた。
 徳さんが不審がって1階に降りて管理人に確認したところ、年に2回の消防設備点検と判明。
 素で忘れていた徳さんは私に平謝り。謝る必要はないのに。
 14時過ぎ。もう引っ込みがつかなくなっているおつまみ作りが佳境に入った頃に、消防設備点検業者のイケメン3人組が来室。
 「奥さん、お料理中に申し訳ありません。」と言われて戸惑う。
 このマンションは徳さんが最初の結婚をした時に新築を購入。なので、私が奥さんと言われるのは前の奥様に申し訳ない気がした。
 イケメン3人組はてきぱきと点検を済ませてくださり、何事もなく数分で終了。
 15時過ぎにNさんが来訪。Nさんも新宿区在住だとは知っていたが、徳さんが住むマンションのご近所でしょっちゅう行き来していることをはじめて知る。
 Nさんは今年春に離婚。今住んでいる新宿区のマンションは、医師のお父様が首都圏で複数の病院を経営するという家庭のお嬢様だった元奥様のご実家が購入してくださったもので、離婚の際は慰謝料が支払われてマンションも譲渡されたとのこと。しかし、男としてのプライドがあるので、コロナウイルスが落ち着いたら今住んでいるマンションを売って新しいマンションを購入すると言っていた。
 今の環境が気に入っているので、この近辺でマンションを探したいと話してくれた。
 徳さんもNさんも私も不動産(マンション)を所持した上での離婚だったので、離婚時に人間関係の次に不動産の処理が面倒くさかったという話に花が咲いた。
 元夫と私が住んでいた一橋学園駅近くのマンションは今も元夫が一人で住んでいるようだが、心が落ち着いたら売って賃貸でもいいから住み慣れた練馬に戻りたいと話していたのでこの先どうなることやら。
 一橋学園駅周辺での暮らしを私は結構気に入っていた。
 
 3人とも野球が好きなので、CSで放送されていたライオンズ対マリーンズのプロ野球練習試合を観ていた。ちなみに徳さんとNさんはマリーンズとベイスターズのファン。私はライオンズとドラゴンズのファン。でも、徳さんもNさんも私も他人の好きな物・事を否定するのは野暮だと考えているので、嫌な思いをすることがなく楽しく時間を過ごしている。コロナウイルスが収束して私の体調が良かったら、3人で神宮球場メットライフドームに行こうという話になった。楽しみ。
 プロ野球中継が終わってから私が作ったおつまみとNさんが持ってきてくださった美味しい焼き鳥屋さんの焼き鳥と鰻の白焼きで飲み会。酒豪番付入りしていた過去もあった私だが卵巣がん再発後はめっきり身体が弱ってお酒が飲めなくなったので、キンミヤ焼酎の麦茶割の薄いものを一杯飲んだ後は湯冷ましか麦茶で二人におつき合い。
 私は、なすの煮びたしとバンバンジーと高菜チャーハンと焼き厚揚げの麻婆あんかけを作った。
 徳さんは基本的に自炊をしないので私がいつ行ってもいいように、3月下旬に徳さんの家に楽天市場で購入した調理器具を送りつけていた。
 23時半頃にNさんは歩いて帰宅。
 Nさんは京都出身で大学進学時に上京。まだかなり京都訛りが残っている。私が生まれた地域の訛りに似ているので、Nさんの言葉を聞いているとホッとする。
 Nさんがマンションを売るまでに最低一回は、二人で遊びに行く約束をした。
 宴がたけなわの頃酔ったNさんに突然、
「桜井さんは徳さんの前の奥さんの痕跡があるマンションって気にならないの?」
と聞かれた。
 交際前から徳さんが体調を崩した時に呼び出されて看病に行ったりしていた。徳さんのマンションに前の奥さんの思い出や痕跡を探してしまうことがあるのは事実。
 徳さんは結婚して2年も経たないうちに別居して、東日本大震災直前に離婚が成立したと本人の口から聞いている。子どもはいなかった。
「徳さんと私の思い出で上書きできたらいいと思ってる。」 
と答えた。
「合格。」
とNさんに言ってもらえてうれしかった。
 Nさんを送り出してから、徳さんが後片付けをしてくれた。徳さんの提案でとり分け用の食器は紙皿を使っていた。
 しばらく休んでからお風呂を借りて入浴。しこたまお酒を飲んだ徳さんはお風呂に入らず。
 しばらく話をして2時過ぎに就寝。
(後編につづく)